<<5月の三陸被災地ドキュメント>>
東北道を北へ走ると福島県に入ったあたりからヒビ・段差と補修跡が目立ち出す。
SA・PAは災害派遣の自衛隊・警察車両群の往来が煩雑になって来る。
全国津々浦々の車両ナンバーが揃っている。
仙台南ICから海岸への有料道路を走るが道の凸凹が激しくなる以外はさほど変化は無くのどかで平和な緑の田園風景が続く。
ところが海岸道に近づいた途端に風景は一変する。
辺り一面緑の田んぼであっただろう所は土砂流木で茶色一色に染まっている。
所々に農家であったはずの廃屋が残っている。
茶色一色の風景の中を走る高架道路を石巻へ向かう。
松島景勝地は沖合の松島が防波堤代わりになって直撃が無く1.5m程の冠水のみ。
松の木は塩に強そうな種類はなんとかなりそうだが約1/3以上は枯れそうだ。
住民は頑張って観光復興に力を入れていた。
丁度昼なので営業している食堂に入ると驚くべき事に海鮮丼が注文できた。
豚汁とご飯程度しか食べられないと覚悟していたのでこれには驚いた。
店の壁には大人の胸の高さ位にしっかりと冠水した塩の跡。
「頑張って営業していく」との店員の言葉が味噌汁以上に心を温かくする。
空自基地がある東松島に入るとまた茶色一色の世界が続いている。
人々が集まっているのは物資の配給所と葬儀場のみという状態で心が重くなる中を石巻へ進む。
石巻市街は意外に無事でやや冠水したかな?という位の被害状況。
しかしここまで来ると停電になり今のところ復旧の見込みが立たないとの事。
物資配給も東松島以東は不十分。
ところが旧北上川を東部地区へ渡ると事態は急変する。
辺り一面が茶色と灰色が入り混じった混じった廃墟と化していた。
国道沿いで割と丈夫な2〜3階建てが多かったせいか流失はしていないものの建物の形状を留めているのみの瓦礫の
ゴーストタウン。
人気は無く取り敢えず道路だけは確保しようと土木業者・警察が作業をする中を更に東へ進む。
この時点で気付いたのは数店を除いてコンビニが普通に営業している事。
確かにコンビニやガソリンスタンドは普通に営業してくれる事だけで絶大な災害貢献になる。
しかし入口付近はカンパン・保存水が山積みになっているのは当たり前として奥に入れば普段のコンビニ。
弁当・オニギリや歯ブラシ・タオルや虫よけまで普通に置いてあり営業している。
「四の五の言わずにオニギリをあるだけ仙台へ運べ」セブンイレブンの
マネージャーをやっている友人の言葉を思い出した。
これは住民にとってはさぞありがたかったであろう。
「あれ、ここで電気通っている!?」と思って裏に回ると発電機。
しかもサンドイエロー迷彩色でUS Armyのロゴ付き、米軍のプレゼントである。
目立たない所での世界の手が感じられる。
小さい峠を越えて女川の町へ。
いや正確には「町であった」所に入ると「町であった」サラ地であった。
住宅の土台のみが残っているので辛うじて「家があった」のは判るがただそれだけ。
海岸市街地はコンクリート建造物が多く原形を保って廃墟化していたがサイコロみたいに横倒しになっていたり鉄筋コンクリート壁を突き破ったり山あいまで港のガスタンクが転げていたり、、、。
事前調査ではこの辺が津波の力そのものが最も強かったと推測できたが流石にコンクリート貫通までは予想外だった、なんと言う破壊力。
女川原発や大川小学校への道は警察が規制を張り一般人立入禁止。
北上川に架かる橋は中央部で流失していたので上流から山越えで南三陸町に向かう。
山道はヒビだらけで普通の人ではかなり通行困難。
なんとか南三陸に入ると今度は一面茶色と灰色の原野。
橋すら流されて自衛隊が仮設した戦地用の橋を渡って市街地に入る。
気が付いたらこの辺で走っている車は自衛隊と警察のみで普通車だとパンクしかねない。
病院ともう一つだけコンクリート建造物が残っていて3階まで廃墟化、その上に観光バスが乗っかったままになっていた。
噂だと教訓としてそのまま残しておくとの事。
港地区が大火災で灰燼に帰した気仙沼を抜けて陸前高田へ北上する。
ここは推定25mもの大津波に襲われた。
何もない。
とにかく何もない。
ただのサラ地になってしまった。
中心部にポツンとコンクリートマンションの残骸が残っているだけで何もない。
とにかく流されてしまった。
それ以上それ以下の表現がない。
大船渡から釜石へと北上する。
この辺は健在な所とサラ地になってしまった所が入り混じる。
ひどい所はJRの駅ごと線路がなくなっているが何ともない所は何ともない。
新日鉄城下町であった釜石は丈夫なコンクリ高層建築が多く逃げる場所には事欠かないはずなのになぜ逃げられなかった?という疑念も。
この町はかなり防災対応に問題があったらしい。
沖合に「あった」1200億円大堤防の存在で津波を軽視したか?
次の大槌町はもっとも防災対策に問題があり町長以下町の職員多数が庁舎外で対策本部ごと流されて機能停止してしまった町。
ここは一面瓦礫と流木の野と化していて市街地は火災が発生したらしく中心部は黒ずんだ廃墟。
その中で自衛隊が頑張っている。
大槌小は少し高台にあり直接被害が無いので対策本部・避難所に使うと思ったら火災。
一部が焼けて使えないようだ。
グラウンドにプレハブ群での臨時対策本部。
裏山の上の施設を利用して避難所を設置。
かなり狭そうで夏場は大丈夫だろうか?
筆者はここで喉がイガつくのが気になった。
車を見ると灰色一色。
いつのまにかコンクリート粉塵とアスベストで染まってしまったようだ。
昨日は大雨でここまでの天気は曇り。
そんなに粉塵が舞うような日では無いのにこれとは、、、。
(ちなみにこの粉塵は東北道で長距離トラック用の高圧洗浄機に2度通しても落ち切らなかった)
私は嗅覚が極度に鈍いのだがそれでも潮と生臭さが混じったような悪臭も南三陸から続いている。
一面瓦礫の山の中で動くのは自衛隊・警察とハエの群のみ、、、。
気が滅入る中を山田町へ北上する。
ここで道の駅に立ち寄るが驚くことにここも営業中。
そう言えば南三陸や釜石でも道の駅は営業していた。
確かに三陸沿岸で道路は津波対策でやや高めに作っているから道の駅そのものは大丈夫だろうが品物が入らないだろうと思って入ってみると意外に品揃えも充実。
外はコンクリ粉塵舞う中を店員さんは頑張っている。
「ここまで被災地奥まで来る人は少ないがそれでも頑張る」との話。
せめて少しでも助けになればと買い物をする。
「三陸の夢」なるお菓子をたくさん買い込んだ。
山田町も大槌町とまったく同じ状況。
ここでは警察機動隊が受け持っているがよく見ると機動隊本部バスには誇らしく「三つ葉葵に静」の部隊章が、、、
静岡県警機動隊である。
全国津々浦々から警察機動隊が掻き集められて救難活動・瓦礫処理にあたっていると聞いていたが最大の修羅場のひとつである山田町で静岡勢が頑張っている、、、。
県民としては誇らしい気にさえなった。
宮古に入ると「万里の長城」「三陸要塞」等々呼ばれていた10m堤防が随所で根こそぎ破壊されている。
宮古周辺は「10m堤防は抜かれない」という大前提で町が作られていたのでその惨状は眼を覆うばかり、、、。
10m堤防の上で「津波が返り討ちになるのを見よう」と多くの見物人がいたとというが、、、。
その人達の運命は言うまでもないだろう。
ここまで三陸沿岸を見て来たがすべてが茶色と灰色の廃墟。
潮が腐った悪臭と粉塵の中で自衛隊や警察は頑張り住民は明日に希望を見出し前に進もうとしている。
この事を伝えたいのと同時に希望の持てる復興をと切に願うものであった。
角野 博紀